八月革命説に対する批判
八月革命説は、説明に法的な擬制を用い、「革命」というセンセーショナルな語を含むため、発表の当初から様々な批判を受けた。
一番の批判点は、そもそもポツダム宣言やバーンズ回答は国民主権の要求を含むのかという点にある。また、仮にそのような内容を含むとしても、多分に政治的な要求、又はせいぜい国際法上の義務を負ったに過ぎず、主権の所在が移行したとまでは言えないのではないかとの反論である。戦時国際法によればポツダム宣言の条項は、占領軍の撤退条件として例示されているものであり、また国際条約の締結をもって憲法の根幹が変更される(革命)と見なす場合、憲法に対する国際法の優越という別の問題が発生する。またハーグ陸戦条約附属書43条との整合性が問題になる。さらに占領政策下における国民主権という、実態や事実にあわない法理になっているのではないか、との論である。ポツダム宣言の受諾当時、日本政府に天皇主権から国民主権に変わったという認識はなく、ポツダム宣言受諾以後も明治憲法は維持され、それが1946年11月3日公布の日本国憲法へと改正され、翌5月3日の施行にまで至ると解すべきではないか(憲法改正説)との論もある。
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これらの見解に対する明確な反論は過去になく、八月革命説は長く通説としての立場を占めているのであるが、もっとも、八月革命説はあくまで日本国憲法の制定に関する法的な説明をするための法理であって、事実経過に関する説明をするための見解ではない。これ以外にも異なる見解は多数提出されているが、八月革命説に替わり得るまでの有力説の登場には至っていない。
尾高朝雄が、尾高・宮沢論争を通して、八月革命説に対する批判を展開したと誤解されることがある。しかし、尾高自身は、天皇主権から国民主権に移行したことの法的な説明については八月革命説が妥当であるとした上で、国体の連続性を説明するためにノモス主権説を唱えたのであり、八月革命説の批判には及んでいない。したがって、尾高・宮沢論争は、八月革命説と直接的な関連性はない。