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韓国の民族主義

朝鮮半島では17世紀ごろから自らを中国文明(大中華)に次ぐ「小中華」であるとする「小中華思想」が形成され、周辺国である満州や日本、琉球を夷狄とみなした。江戸時代に日本を訪れた朝鮮通信使たちは、日本に対して、「男子はみな半幅の青布でへそから下を被っている。はなはだしいのになると隠さない」、倭国の草履は「前部に一本の縄があって、そこに足指を掛けて挟んで歩く。その形はひどく奇怪である。足袋は蛇の舌のようである」などと日本の風習を夷狄視する記述を見せている。 それが近代に入ると、その「野蛮人」であったはずの日本人に植民地支配をされ、「小中華思想」をもとにした民族主義から、より強い反日感情へと繋がった。

韓国の建国当初の民族主義は「反日主義」一辺倒で、「日帝に対する闘争」を掲げることで民族の紐帯を醸成していった。
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朴正煕は独裁体制(維新体制)を確立すると、「国籍ある教育」を掲げ、歴史教育の目的として「民族の中興の使命を達成するための主体的民族史観」がうたわれるようになった。また、一方で開発独裁による経済発展を推し進め、「漢江の奇跡」と呼ばれる飛躍的な発展を遂げることに成功し、韓国人が誇るに足る国へと成長していった。とはいえ、日韓基本条約における8億ドル(当時、無償分だけでも当時3億ドルで、現在の円換算にして1兆800億円に相当)にも上る莫大な賠償金をもとにすれば、「奇跡」と評するには大きな疑問が残る。

朴の死去後の1980年代から韓民族優越主義が台頭し始める。このころ、韓国の超古代史が綴られたとされる自称歴史書『桓檀古記』が「活字として改めて出版」されている。

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2009年11月11日 01:06に投稿されたエントリーのページです。

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